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海外教育事情の商品一覧

海外教育事情を知るときは、本やインターネットによる情報収集がおすすめです。日本では、アメリカなどの欧米やフィンランドなどの北欧諸国の教育事情が頻繁に紹介されており、出版物の数も豊富です。
これらは教育従事者のためだけではなく、学生の方にもぜひ読んで頂きたいものです。なぜならば、
現在の日本の教育事情だけでなく、海外教育事情についても知っていた場合、もし日本の学校での勉強がなじめなくても、海外の学校に留学をすることで、新しい道を開くことができるかもしれない、と考えることができるためです。
もちろん、全ての学校がその国の特徴と言われる教育方針を取っているわけではありませんが、留学先を考えるときの参考にもなるでしょう。

現代にふさわしい教育像は?
初版は、1949年。戦後の急速な変化が、米国の政策転換(朝鮮戦争が1950年に始まった)のもとで歩をゆるめ、日本の右傾化が目立ちはじめた頃の出版でした。戦前の窮屈な時代の反動もあって時に行き過ぎと思える自由が目についた時代でした。そこにこの本が投じた波紋は少なくなかったでしょう。以後、この本がいろいろな機会に推薦され、読まれもしました。岩波新書のロングセラーのひとつです。

イギリスのパブリックスクールにおける生活・教育の姿を、自由の前提としての規律の実相という切り口で紹介しています。名文が続きます。やや古めかしい言葉使いや言い回しが使われるものの、文章は流れるごとく洗練されており、ほとんどの読者には少し読み進めば結構スラスラと読めることでしょう。

パブリック・スクールに通う学生は、ほとんどが上流階級の子弟です。将来、エリートとして各界で活躍する人材が教育・訓練を受ける場でもあります。そうした世界では、ノブリス・オブリージとかLoyaltyとかいわれるある種の品格を身につけることが要求されるといいます。全寮制で、時に独裁的とも見える指導者(それは校長や時に教師であったり、先輩であったりするのですが)のもと、伝統といえるほどにしみついた規則にのっとった毎日です。それでいて必要なときには対等に言い合うこともあります。スポーツでも鍛えられます。そんな数年間を過ごす中で品格が身について行くものらしいのです。

著者も書いているように、社会の仕組みはもちろん、伝統でさえ、長年の内には変化します。パブリックスクールが出来た中世末期には、教育を、閉ざされた教会などの世界から、より開かれた民衆(とはいえ、限られた階層に向けてでしたが)に開放する必要が出てきて、文字通りのパブリックなものでした。が、いまや、パブリックという呼称は形式的なものと化しています。そのような時代の変化をも考えると、本書で描かれる教育も絶対的な規範とは限らず、具体的には著者が留学した大正末期の姿であることを理解しつつ、しからば現代にはどのような教育像がふさわしいかを考える、そのような読み方が大事なのではないでしょうか。

何を教えるべきか
著者の体験をもとに、英国のパブリックスクールにおける教育を紹介しています。寄宿生活とか礼拝とか、日本の公立中・高校とは形は全く異なっています。しかし、そこで行われている教育の方針は、日本でも取り入れることのできるものです。それは、「自分の役割を満足に務める」人間を養成するというものです。エリ−ト教育賛歌の本ととらえないでいただきたいと思います。
先生と生徒それぞれのよいエピソードが詰まっています。岩波文庫で絶版になっている「トム・ブラウンの学校生活」を(古書で求めて)併読すると、パブリックスクール生活がよくわかります。

名著中の名著。イギリス留学を考えている人に、教育にかかわる人に読んでもらいたい。
僕が入手したのが、96刷という名著。
イギリスでの留学生活を回想しているのだが、パブリックスクールのことだけならず、イギリス人気質とも言えるようなところまで目線が届いており、楽しめる。
内容も記述も古いのだが、読後感はすきっとしていて、時代を超えた気持ちのよさを味あわせてくれる。
イギリス留学を考えている人、お勧めです。

エリート教育賛歌
昔居たことのある英国のある学校で(その学校はパブリックスクール出が多い学校だったが)、公立学校出が、パブリックスクール出身者と友達になる可能性について聞いたところ、公立出の彼は、「まずないだろう」と言っていた。なぜなら、彼らは、自分と同類と居ることを好むから。全部が全部ではないだろうが、彼らは瞬時にパブリックスクール(或いは有名私立)出を見分けることができる。姿勢、着ているもの、話し方(英語の方言)が異なる。使う英語の発音が違う。

こういう階層を固定化する装置を経験すると、自分の子弟を必ず入れたくなる(と出身者の親は言っていた)。英国では、チャンスが公平でない。パブリックスクール出には自動ドアが待っているが、公立出はこじ開けないと入れない世界があると。

そういう世界は過去のもので、第二次世界大戦で終わった筈なのに、今なんで日本でこうした学校を崇めなければいけないのか、理解できない。

嗚呼、日英同盟!
 2007年秋に新聞の書評欄に再掲されてから、再び書店に平積みされている超ロングセラー・エッセイ。三井財閥の御曹司である著者が英国のパブリック・スクールであるリー・スクールに留学していたのは、丁度日英同盟が締結されていた時期と一致する。同盟国ということもあってか、あるいは両家の子息ということもあってか、著者は結構優遇されていたことが、行間から読み取れる。ところで、'Public School'というのは名ばかりで、私立学校のことであるが、ここでの寮生活を中心に、将来英国の指導的地位に立つべき人物の勉学の日々が明らかにされる。
 「校長の独裁による善政」が敷かれ、「学校の運営には参与できず、規定の校則には絶対服従を要求され、宗教と運動は強制的に課せられ、外出はほとんど許されない」禁欲的な学生生活、「彼らは自由を持たないのであろうか、彼らイギリス人の謳う自由とは如何なるものであろうか」と読者ともども、著者は悩む。
 著者は「社会に出て大らかな自由を享受する以前に、彼等は、まず規律を身に付ける訓練を与えられるのである。」と言う。この本の初版が出たのが1949年である。21世紀のパブリック・スクールの現状はどうなっているのだろう。しかし、当然のことながら「パブリック・スクールにあっても、基本的な自由は与えられている。正しい主張は常に尊重され、それがために不当の迫害をこうむることがない。」 そして、著者の「忘れられないL先生」の箇所は涙なくしては読めないであろう。
 昨今の、イギリスのスポーツ界はサッカー以外には全くといっていいほど見るべきものがないが、ストイックな彼らの意識を勘案すれば、これもまた仕方がないのかもしれない。

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